ユルいのヨシアシ 

エーラスダンロスやら発達障がいやら絵やら

ユルいのヨシアシ

【ユルさ】とはなんなのか。発達障がいで感覚過敏も鈍麻もある息子を育てる、てんハハの個人的な解釈。

※かさねて書きますが、あくまで、個人的な経験と個人的な解釈です。

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【ユルさ】を肯定的にとらえる時代

ユルい子育てとか、ユルい家事とか、ユルい生き方とか、当たり前のように【ユルさ】が良いものとして扱われる時代になりましたね。

決して努力しないと言う意味ではなくて、頑張りすぎないとか、人と比べないとか、そんな感じなんだろうか。

 

てんさんに育てにくさを感じ始めたのは1歳くらいの頃からかな。泣き方が強いというか、代替案とか融通がきかない泣き方をする子だなと思っていました。癇癪とは違う、強い泣き方。

強いのは泣き方だけではなくて、喜びの表現の時も。嬉しいと自分の手を噛む人だったんです。そりゃあもうガッチリ噛むので、血が滲むこともしばしば。そして、喜びがピークに達すると一気に落ちてギャン泣き。普段は大人しい、というか、少し反応が鈍いかな?って感じだったので、まるで「弱からターボ、ターボから故障」みたいだと、ちょいちょい訪問してくれてた保健師さんに相談していました。

1歳、2歳と順調に検診で情緒面に引っ掛かり笑、3歳前にはいわゆる発達障がいの疑いがついていました。

表情は確かに控えめだったけど、私にはよくしゃべるし本当に普段は穏やかに笑う子だったので発達障がいと言われて納得いかないと思う反面、私にしかなつかない、外では一切笑わない・しゃべらない、ひとたび泣き出したら短くても1時間は泣き続ける、夜中に泣き叫ぶ、物を分解する、テレビを怖がる、そして関節ぐにゃぐにゃ…などがあって違和感を抱いていたのも事実なので、素直に小児精神の専門医を受診、各種検査の後はあっさり発達障がいの診断がついて療育園→特別支援学校という流れでした。

 

療育園で教えられた、【ユルさ】

 

私はどちらかと言うとユルいのは嫌いでした。というか、社会の一員として生きていく以上、一定の基準に達していることが求められるし、その基準は高い方が社会にも自分にも益になると考えていました。

もちろん、基準はいろいろあるので自分に合った場を探して無理がない生き方をすべきとは思ってましたが、あくまで社会に自分が合わせていくのが当然と思っていました。

療育園は子どもに対しての治療と教育がメインなんだけど、「こうあるべき」という見方から「これもアリ」という見方にシフトチェンジすることを保護者にも教えてくれる園で、過敏なてんさんを守りながら成長させる考え方の癖をトレーニングできたなぁと感謝しています。

「社会に合わせられないからダメ」で終わるのではなくて、「じゃあ、どうしたら合わせられるのか」を社会と擦り合わせていく、という考え方の癖をつけ、実際に考え、双方にとって無理のない合理的な代替案を出し、細かく擦り合わせていく、という感じ。

今もあまり【ユルい】のは好きではないけど、そこを擦り合わせていく合理性は身に付いた気はしていて、今のところ【ユルさ】=【ニーズに合ったバランスを調整する事】ととらえています。ニーズは性格や家庭環境や時代などで様々、そして同じ人物でもライフステージによって必要が変化するので、ちょこちょことバランス調整が必要になる…みたいなイメージ。そのバランス調整が自分でできるようになるのが、自立に必要な大きな要素なのかなと考えて子育てしてます。

 

ユルいことは悪くない、が、ユルさのバランスは大事、と考える50の春です。

もちろん、関節のユルさはダメだけどね!