ユルいのヨシアシ 

エーラスダンロスやら発達障がいやら絵やら

ダカラかダケドか その②

 

 

「発達障がいかも」からの「発達障がいです」と言われた時から今に至る、親としての心情などを書いてみる。


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発達障がいを持つ(かもしれないと医者から言われた)ご本人さんや保護者さんの参考になればどうぞ~とは思うけど、「こうすべき」とは思ってませんので悪しからず。

 

「ソコデの日々は楽じゃない」

 

「てんさんの発達障がい」について考えながら、試行錯誤、一喜一憂しながらの毎日は本当に大変で、覚えてないことが多いです。

記録はつけていたので振り返ることはできるんだけど、3歳半頃からは単に出来事を淡々と記録しているだけで、気持ちや感想は書かなくなってます。自分の書いた言葉にショックを受ける事があって、精神衛生上よくないと判断したからだったと思います。

 

精神科医か自己啓発系?の方の提唱に「感情をノートにぶつけて消化する」みたいなのがありますが、あれは私には向かなかったです。ノートにぶつけると、そのノートに触れるのが嫌になる、怖くなる。ノートではなく紙切れに書いていちいち破るというのもあったけど、感情的になにかを破壊する母を見て育った私には「破る」という行為かものすごく暴力的に感じて、できませんでした。

 

もちろん、向き不向きがあるので否定はしませんけどね。

 

療育施設や小児精神の先生方から発達障がいのなんたるかや対応を学びながら、てんさんなりの、家族なりの、うちの家庭なりの「てんさんの発達障がい攻略法」が段々と形になっていき、いよいよ小学校を普通校か特別支援学校かを決める段階で家族会議を持ちました。

もちろん、この日までにてんさん自身の希望を徹底調査。そして、実際に入学が可能な学校のリストアップと、それぞれの学校、教育委員会との進路相談は重ねてきている状況で。

 

「ダカラかダケドか」

 

●普通校なら「発達障がいダケド普通に合わせていく」

●特別支援学校なら「発達障がいダカラ(少なくとも今は)特別な支援を全面的にしていく」

 

細かく考えたのは

◾「今現在」最優先にすべきこと

◾「今現在」考えられる、実際に可能な支援

◾それぞれを選んだ場合の希望的観測とでき得るであろう支援の限界点

 

ここでは詳しい内容は書かないけど、上記のようなことを何日間かに渡って話し合いました。もともと事あるごとに話題にしていたとはいえ、小学校を決める=てんさんの人生の大きな舵取りになると思うとストレスで心身ともにボロボロでしたが、今が頑張りどころだ!と、療育施設の先生方の励ましを力にして乗り切りました。

 

「ダケドなのでダカラ」

 

てんさんと家族が選んだのは「発達障がいダカラ(少なくとも今は)」特別な支援を全面的にしていく」特別支援学校。

 

これは、てんさんと家族の大きな決意である

「発達障がいダケド、社会参加をすることは可能だし、社会人としての義務や責任を果たすことも、人生を楽しむことも可能」という強い思いと希望があったから。その上で、

ダカラ、赤ちゃんの頃から辛い毎日を送ってきたてんさんが、人生を楽しむ気持ちの余裕を得たり、人との繋がりの大切さを安心できるなかで感じる必要がある」と考えたから。

 

記録ノートには、

「発達障がい、恐るるに足らず!」

「受け入れれば自分の一部になる。自分の一部であれば慈しみながらコントロールしていくことは可能!」

と書いてあって、かなり盛り上がった様子。

 

今、高2になったてんさん。小学部でまさかの担任からの療育の拒否を受けたり、パニック発作が「パニック障害」に昇格(?)したり、身体的な難病疑惑(現在は確定)が生じたりと順風満帆なわけではなかったけど、てんさんは穏やかに育ってます。落ち着いていて、失敗を恐れず、苦手なことにも自分なりの対処法で立ち向かっていきます。失敗しても、そこから学ぶ事ができる精神力を養えていけています。

 

高校に入る時にてんさんに質問したことがあります。

 

「てんちゃんさぁ、自分の事好き?」

答えは笑顔で「うん」でした。

 

自分の事が好きなら、自分のために努力ができるよね。自分が辛いときに、なんとかして自分を助けようとするよね。

 

この子は強い、大丈夫だ。この道で一緒に頑張ろう!

 

そう確信しました。

 

 

 

ダカラかダケドか その①

「発達障がいかも」からの「発達障がいです」と言われた時から今に至る、親としての心情などを書いてみる。

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発達障がいを持つ(かもしれないと医者から言われた)ご本人さんや保護者さんの参考になればどうぞ~とは思うけど、「こうすべき」とは思ってませんので悪しからず。

 

「マサカとヤッパリとナンデからのソコデ」

 

時は1歳半検診。「育てにくさ」を感じる毎日だからこそ、育児本を読み漁ったり自分を責めたり…な毎日だったので、初めて市の保健師さんから「ちょっと気になりますね、様子をみていきましょう」と言われた時はドキドキしました。なにゆえドキドキするかは自分でもよくわからなかったけど、「これは今後の人生に関わるなにかが起きる‼️‼️」という胸騒ぎって感じかな。

でも、ここで「様子をみていきましょう」と言われたのは今にして思えば大きかったかも。集団検診の中なので、特に説明はなくまさに「様子をみていきましょう」と言われたのみなんだけど、なんかある…という漠然とした不安とか母親としての勘とかを判ってもらえた安心感なのか、とにかく冷静になれました。

以降は、いつもと違う道のライン取り(道は一緒です、同じ道の歩き方のライン取りが違っただけ)でギャーッにも、食べようとしたフォークからうどんが落下しただけでウギャーッも、テレビの画面に人が反射して映っただけでもプギャーッなど、諸々の激しい感情表現にも落ち着いて対応できました。あ、テレビはつけてません。つけたら怯えて呼吸ができなくなるくらい泣いてたので。早々に画面を布で覆いました。

 

そんな一定の理解のもとでの日々ではあるものの、やはり我が子に生まれつきの障がいがあるかも…と言われてなんとも感じない訳はなく、やれ妊娠前のアレが悪かったのかだの、妊娠中のアレがマズかったのかだのと考えて、悲しくなったり悔しくなったり、いやいや、まだ小さいから~とか「マサカ」そんな~みたいな現実逃避を試みたり。

 

結局あっさり診断がつき、冷静に見れていた分「ヤッパリ」と深く納得したので、診断に対する「ナンデ」ではなく、てんさんの行動に対する前向きな「ナンデ」になったように思います。てんさんの行動や反応を、自分の感情と切り離して観察できるようになっていき、うまく対応できるようになっていきました。

 

「ソコデの日々」

 

●ナンデ、一定の場所に行くとギャン泣きするのか

→テレビがあるから

●ナンデ、テレビが怖いのか

→中から人が出てきたら怖いから

●ナンデ、テレビから人は出てこないと説明しても理解しないのか

→中身を見たことないから

 

ソコデ、ジャンク品の小さな激安テレビを買ってきて一緒に分解

→解決!

 

てんさんは、4才より小さい頃から分解したり切ったりして中身を見るのが好きで、人形を切ったり首を抜いたりしてて親としては若干のヤバさを感じていたんですが、要するに「動力がなんなのか」を知りたかったようです。そして、ヒトガタであれば中身がどうなっているのか単純に興味があったらしい。

 

そんなこんなで、観察と対応、予防と対策をしていき、家や日常生活では一気に落ち着いて活動できるようになりました。

気を付けてたのは、感情的に叱らないこと、叩かないこと。声を荒げないこと、罵らないこと。

てんさんに覚えてほしくないことは絶対にしない、良い手本になろう!と、家族で徹底していきました。

 

その②に続く

ユルいのヨシアシ

久々の投稿になんだか気恥ずかしさを隠せない近況報告。

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なんやかやと忙しく、サボっておりました更新。またボチボチと頑張ります。


気づけば夏~秋の気温差からの痛みが発生する時期。まあ言い出したら一年中ですが、一年中痛いのが当たり前という現実が気持ち的に辛いときは、その季節柄痛い=期間限定ということにして脳を騙す作戦。

発達障がいの人に効果がある見通しができるので、なんとなく我慢できる材料になります。お試しあれ。短い!!

ユルいのヨシアシ 

引きこもりGWに考える、移動手段と権利についての話。あくまで、個人的な感想ですよ。

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いろんな考え方や捉え方があって当然ですし、他人の考えのヨシアシを判定する気はないんだけどね。「私の考え」をまとめてみました。


もともと私の母が「足が不自由」であったことから十分に下調べすることが当たり前の中で育ってきたので、「とりあえず行ってみよう・やってみよう」という感覚は理解できない。

私は、あくまでも私は、少なくとも交通機関の障がい者割引というものは

「【普通】に利用できないことに対するサービス」

だと思っています。
「【普通】なら難なくできる利用ができなくて申し訳ないけど、全面的にお手伝いすることは無理なので、料金割引を利用して他の方法も併用しながらご利用くださいね」みたいな感じ。

仮にこれ以上の「この駅を使わなければ著しい不便さや不利益が生じる状況」なのであれば、さらに、「日本の交通事情が障がい者に優しくない状態だと認識している」なら、なおさら事前に相談するだろうな、と思います。私なら。
健常者だって必要があれば仕方なく迂回や遠回りもするし、そもそも旅先で安全にスムーズに行動したければ下調べはしますし。


何かしらの手当てが受給できる程の障がいがあると、実際の動き(行動)が遅くなってしまいます。確かに障がい者が利用できる便数や駅には限りはあるけど、鉄道や路線バスなどが全てその速度に合わせるならば社会全体の生産性が落ちてしまう。福祉や保証は社会がしっかりと成り立っているから存在・存続できるものなので、もし社会全体の生産が少ないのなら福祉も行き届かなくなるという事をわきまえるべき、と考えています。
仮に、便数を増やしたり駅を整備するとなるとその費用や維持費はどうなるのか、どこからでるのか、採算があうのかなどを、せめて単純にでも考えてからものを言うのが社会の一員としての常識であるとわきまえるべき、だと思っています。

我慢して卑屈になるのではなく、わきまえることを含めて自分と社会の双方に合った合理的な方法を考えて行動する。
声をあげるのは権利だし大切なことではあるけれど、弱さを武器や隠れ蓑にするのは違うと思っています。


生まれつきの障害がある方に、「健常者だって身体のどこも痛くなく毎日楽しいばっかりで過ごしている訳ではない」ことを知らせるのは大事。きつくて痛いのに薬を飲みながら働いて、休みの日には家事に追われて、そして納税。
いわゆるなんの不自由もなく生きてそうな人も、実は見えない場所や表に出ない期間にめちゃくちゃ努力してます。

障がいがあろうがなかろうが、誰もが望みさえすれば「自分の行きたいところ」に行けるというわけではない。
そんな世の中は間違ってると思うのならば、まず既存の世界を改善できる立場について、合法的に、全方位の事を考えて変えていけばよろしいかと思います。
声を上げるのならば、人に迷惑をかけない方法で問題を明らかにしていく方が焦点がぼやけないので合理的だと思いますよ。

こんな考えで生活しております。あくまでも個人的な考えです。お腹空いた。

発達障がい 二次障害・パニック

パニック障害、パニック発作、癇癪。
【パニック】という単語の使い方がごっちゃになってしまいやすい気がするので、「少なくともてんの場合のパニックは」、という話。

ご注意:
【パニック】の定義については、あくまで私の持論なのでお気を悪くなさりそうな方や敏感な状況にある方はお読みにならないでくださいね。
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【発達障がいは、その表出の仕方に個人差が大きくあります。このブログに書いてあることは、あくまで私と息子・てんの経験したことです】


息が出来ない…!!

と突然やってきます、てんさんの【パニック発作】。小さい頃はてんさん本人も私も慣れていなかったので収めるのに時間がかかって悪化させることがありましたが、今は早い段階で対応したり予防をしておけるので、【パニック障害】ではない状態。

《認識までのだいたいの経緯》

【発達障がい】と診断がつく前だから、もうすぐ3歳というくらいの頃かな、親戚の家に遊びに行きました。
快活さと大胆さと病的な慎重さが混じったような扱いにくい性格のてんさんにとっては初めての場所だったので、まず入る前にしばらく車でまわりの様子見。親戚には分かりやすいように「人見知りや場所見知りが激しい」と伝えてあったので、よい感じで放置をしてくれ、30分後くらいには家の中に入ることができました。もちろん私にベッタリだったけど、それは問題なし。

親戚たちは気遣いを示してくれて、特に話しかけられることも、逆に無視されることもなかったので穏やかに過ごし、おばちゃんの「アイスクリーム食べるかい?」の問いかけに頷くことまでできました。
問題は食べ始めてから。

私の隣で食べていたてんさんのアイスが、トロンと垂れ落ちそうになっていたらしく、おばちゃん達が「あ、お服が汚れるよ~!」と突然大きな声をだし、みんなの注目が自分に集まったもので、【パニック発作】が起きました。目を見開いて息が吸えなくなって、その場から逃げようとするあまり止める私をボカスカ叩く、その後は震えと一時間くらいのギャン泣き。

それ以来、大きな声や注目が自分に集まると【パニック発作】が起きるようになってきて、さらにその後には人前に出ると発作が起きるかもしれないから怖くて外出できないという、【パニック障害】へと進んで行ったのでした。

(その後、療育園でリハビリなどを受けて症状はかなり改善したものの、普通校では大きな声や注目は付き物なので難しいだろうということもあって特別支援学校を希望した、という訳です)

《パニック発作 てんさんの症状》
●息が出来ない(と感じる)
●震え
●力が抜ける
●耳鳴り(のような感覚)
●動悸
●目眩
●頻脈
●頭痛

てんさんの場合、暴れたり、暴言を口走ったりということはないです。逃げようとするのを危ないからと止められた→逃げるために結果的に相手を叩く、というのはありましたが。

《メルトダウン》
てんさんはいわゆる「アスペルガー症候群」に分類できるようなんだけど、アスペルガー症候群患者のパニック発作の先には「メルトダウン」と言われる状態があります。
パニックがピークを越えてからの、まったく指示が入らなくなる状態。この時に自分を叩いたり頭を激しく打ち付けたり、場合によってはもっと激しい自傷行為を行ったりするので注意が必要。というか、メルトダウンまで行かせないことが大切だと思われます。個人差があるから、あくまで「てんさんの場合は」ですが、

[本人]
●パニック発作が起きた早い段階で人混みから離脱
●なるべく早く座る
●薬があるなら服用
●数をかぞえる、呼吸に集中する、耳をふさぐなど、外部からの刺激を和らげる

[介助者]
●早い段階で安全な場所に誘導するが、本人の身体には触れない、近づかない
●介助者は近くで待機し、できるだけ動かない、目を合わさない
●声かけは落ち着いた低めの口調で「ゆっくりでいいよ」「大丈夫よ」「ここにいるよ」のような肯定的な言葉のみで、回数少なめに(普段から本人とシミュレーションしておくと入りやすいように感じます)
●介助者は本人が仮に自傷行為を始めても(メルトダウンが起きても)、命の危険がなさそうな限りは見守りながら放置。とにかく近づかない 

《メイトダウンが起きてから》
●近づくと介助者も本人も危険なので、近づきすぎず距離を保ちながら見守り
●身体は本人に対して正面を向けない
●時間がかかるので覚悟を決める
●その後の全ての予定がキャンセルになる覚悟を決める

てんさん曰く、パニック発作中は「怖い」と感じているらしい。そして「怖さに支配されている状態」がメルトダウン。怪我をして怯えた動物が身を守るために威嚇をしている状態だと私は認識しています。(あくまで私の息子の状態の話であって、息子を動物扱いしているわけではないですよ)

《予防》
●落ち着いているときに、「苦しい時間が短くてすむように」「苦しい状態にならないように」という前向きな見方で一緒に対処していくための関係性を高めておく
●仮にパニック発作が起きても対処できるように、関係者に事前に説明、協力をお願いしておく

《癇癪との違い》
注意:あくまで、個人的な考えです

てんさんの場合、思いどおりにならないから、気に入らないから、嫌だからという理由では事は起こりません。が、小さい頃は予想外の状況はきっかけにはなりました。

~てんさんの経験~
●「疲れたらやめていいよ」と指示されていて、「疲れたからからやめる」と言ったら「じゃあ、キリ良くここまでやってからやめようか」との対応をされた時
●「間違えても大丈夫」と言われていたのに✕印をつけられたり、書いた文字を消された時
●「好きなことをしていい」と言われていたのに注意をされたり対応できないと告げられた時

など、要するに「言ってることと行動が違う」場合は「予想外」となりパニック発作がおきます。
特に指示を出す側に特性に対する理解がなく、自分の出した指示の曖昧さがきっかけになったと認識できない場合には追い討ちをかけるような言動をとられてしまうので、怖くてその場から逃げようとしたり耳を塞いだり、大声を出して相手の声が聞こえないようにしようとするため「反抗的」「暴力的」「わがまま」ととらえられたりしてきました。

決して反抗心やわがままを通そうとしている訳ではない、曖昧な表現が理解できないのが発達障がいの特性のひとつ、と相手と話し合い、なにより、てんさん自身と「苦しいことを言葉で伝える」意義を話し合い、練習してきました。
日常生活の中でも言葉で伝える大切さを認識できるように、例えば

てん「お腹がすいた」
私「お腹がすいたのね、わかったよ。なにか食べたいものが決まっていれば作るか買ってくるか、近くなら食べに行くかできるよ」
てん「うどんが食べたい」
私「うどんが食べたいのね、わかったよ。お母さんが作ったうどんが食べたいの?それか、どこかのお店のうどんが食べたいのかな」
てん「お母さんが作ったうどん」
私「お母さんが作ったうどんを食べたいの?」
てん「うん」
私「わかりやすく話してくれてありがとう」

てな流れで、さらにいつ食べるのか、できるトッピングはなにかなどを決めていきます。正直、面倒ですが、うどんごときで「息ができない、シヌーーっ」とかなるよりマシです。

大切なのは、
●「お腹がすいたのね、わかったよ」「わかりやすく話してくれてありがとう」で気持ちを言葉で伝える大切さを認識させる
●「なにか食べたいものが決まっていれば作るか買ってくるか、近くなら食べに行くかできるよ」という、可能な案を提示すること。
単に「何が食べたい?」と返してフランスの三ツ星レストランのフルコースとか言われて無理だと伝えたら「シヌーっ」になって面倒なので。

フランスの三ツ星レストランに行けないのは常識だから、そんな事を言うこと自体がワガママだし、まして無理だと言われて駄々をこねるなんて甘やかし過ぎだ、といった批判を受けることもしばしばありましたが、精神科医とも確認しながらてんさんの特性に合った対応をしてきました。

だんだんと歳を重ねて少しずつながら経験を積むなかで、フランスに行くのは大変、近くに美味しいものはある、いつかフランスにも行けるので楽しみにとっておく、といった考え方が少しずつ早くできるようになり、そのうち、自分の気持ちや状況を言葉で伝える、状況を判断して相手が言った曖昧さの中から自分が不安になる要素の部分を前もって自分から言葉で伝えたり質問する、ということができるようになっていきました。

正直、すごーく面倒くさくて忙しい時にはイライラしたこともあるけど、我が家では、いわゆる発達障がい児の【3分の2年齢】と合わせて[急がば回れ戦法]と呼ばれて、実生活でもてんさんの成長にも、人に説明するときにも重宝しています。


発達障がい 5月は学校探し

新年度が始まって1ヶ月。子どもも保護者も、そして先生サイドも慣れてきて、そのヨシアシが見えてくる頃。先生と話し合い、子どもと話し合い、軌道修正したり擦り合わせたり忙しくなってきます。
がしかし、そんなのは発達障がいに関係なく、どの子にもどんな学校にもあること。なので、今回は発達障がい児の保護者ならではの5月の経験を書いてみます。
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【発達障がいは、その表出の仕方に個人差が大きくあります。このブログに書いてあることは、あくまで私と息子・てんの経験したことです】

発達障がいの子どもに必要な支援は多岐に渡ります。そして、本人や保護者が求める支援も1人1人違う。描く将来像や現実的にできる養護や期間も保護者、またはライフステージによって千差万別。
こちらの希望の全てに合致する学校はなかなか見つからないけれど、だからといって諦めたら試合終了どころかヘタしたら人生が終了しかねないと自分を追い込み、我が子に合う学校探しの死闘に身を投じたのがてんさんが幼稚園年長の5月でした。

以前からなんとなく目星はつけていたとはいえ、背水の陣で臨む戦いですから情報という持ち玉は増やしておきたいところ。
ただ、ここで気を付けたのは【口コミはあまり当てにしないほうがよい】ということ。
発達障がいの出現の仕方や必要な支援はそれぞれ独自のものなので、【人の感想より自分の勘】を大切にしました。

さて、我が子の将来に大きく関わってくる大事なプレゼンの準備です。気合いを入れてやっていこう!

《リストアップ》
●入学資格
実際の雰囲気や校風などは見学に行くとして、まずはてんさんが入学可能な学校をリストアップしていきます。
この、入学者の対象になるかのチェックはしっかりと確認すること。
どんなに魅力的な校風でも、そもそも入学者の対象になっていない学校に相談したって時間がもったいないし、不要なダメージを負うだけなので。ただし、「制度的には問題ないけど単に前例がない」場合は候補として残しておこくことにしました。

●引っ越しはアリなのか
言い出したら外国だってアリです。費用、時間、将来、メリット・デメリットなどを考えていきます。
てんさんの場合は新しい環境に馴染むまでにかなりの時間を要するので、遠い土地への引っ越しは不向き。仮に引っ越すとしても「市内の私立校の近く」くらいが現実的。てんチチの母や私の両親の世話もあるし。
公立校の場合、校区外からの越境入学は基本的には認められていないので、これはまず市教委と話してみるとよいかもしれません。けれども、いわゆる風の噂で「あの学校の支援級は手厚い!」と聞いたとしても、公立校には異動があって次年度には「最悪な対応!」と噂される事態にもなり得るので、我が家の場合はわざわざ公立に越境、もしくは引っ越しての入学はないと考えて候補からはずしました。

その他の考慮事項として
●歩ける距離なのか
●バスなどの利便性
●仮に引っ越すとして、生活環境はどうか

ここまででかなり絞られてきました。うちの場合は国公立・私立を合わせて4校。それぞれの学校への相談の間に県教委・市教委への相談、病院診察・市の就学相談などが入ってくることを考えたら、早く動いて更に候補を絞ることが必要だと思い、とりあえず就学相談のお願いの電話をして予約をしていきました。

《心身疲れ回復準備が肝要》
そもそも困りや問題を抱えてないならば、時期になったら校区の学校から案内が来たり私立校のオープンスクールで説明を受けたりして、特に気を張る必要もなく手続きが進んでいくんだけど、発達障がいや肢体不自由など何かしらの困りがあるからこそ少しでも本人に合った学校に受け入れてもらおうというプレゼン期間ですから、神経がすり減ります。
なにも考えずに普通校の普通級に進んで余計な苦労や心労を負えば将来にも影響がでかねないので、我が子が普通級の子たちに比べて「いかにで出来ないか」を説明し、アンテナを張り巡らせて必要な支援を取り付けていけそうかを学校との相談の中で察知し判断していく訳なので、時間も体力も気力も根気もいる作業です。
きちんと自分の疲れを認めて回復させていかないと最後まで持たないし、メンタルやられます。門前払いのようなゾンザイな扱いを受けることもあるしね。


《大事なファーストコンタクト》
●電話の用向きの説明を分かりやすく
●ここでは面談の予約を取りたいだけなので端的に

あくまでプレゼンです。その場かぎりではなく、その後の学校生活の間、長ければ12年間のお付き合いになるかもしれない最初の接触です。電話での予約だからこそ明るい声で前向きな好印象を持ってもらえるように努力しました。
もちろん、最初と最後には感謝の言葉を忘れずに。

《厳しい現実を受け入れつつ、候補を絞る》
我が家の地域には1校だけ公立の小規模校があります。校区外なので望みは薄いですが、まったく不可能ではない、過去に校区外からの受け入れ実績があると聞いたので、まず度胸試し(?)に電話してみました。

結果は、まったく話にならず。
電話で「相談の予約」をしたかっただけなのに、療育園に在籍していることを伝えた段階で「もしかして入学の相談ですか?今の時点で校区外ならわざわざ転居してまで入学されるのは困ります」と言われました。キツい言い方ですが、確かにそりゃそうだ。もちろん、公立校だからと言って全てがそうした対応ではなく、別件で知り合った公立小学校の校長先生からは、「保護者の熱意や協力があれば引き受ける用意はある。しかし公立校である以上、自分や教員の異動があったりして来年度の対応は約束できない。だから、引っ越しをしてまでウチにいらっしゃいとは言ってあげられない」と優しく話していただいたことも。
そのときは別件中での雑談の一部だったので、「そこは理解してるつもりなんですが、だからと言ってこちらも動かない訳にはいかないのです」と言ったら、親としての苦労を労いつつ県教委に相談してみることを勧めてくれました。

候補の4校に相談予約の電話をした結果、2校が消え、1校が増えてたので実際に相談に出向くのは
第①候補:校区の小学校
第②候補:特別支援学校
第③候補:私立校
の3校。
スケジュールとしては、まずは基本である校区の学校から相談をお願いすることにしました。


【最初の電話での話】
《校区の小学校》
保護者としての義務がありますから、特支、私立に入れない場合は今の校長先生が残ろうが残るまいがこの公立小学校に通わせることになります。なので、こことの話し合いはより細かくより前向きにという気持ちで臨みました。
てんさんの特質と病状への対応のお願いがどこまで聞いてもらえるのか。プレゼンではなく擦り合わせをしたい旨を伝えたところ、学校側も前もって準備をしておけるから助かるので、何回かに分けて話し合っていきましょうと言ってくださり、とりあえず背水の陣ではなくなったのでホッと一息。
第1回目の話合いの日時を決めて終了。

《特別支援学校》
療育園に通っている旨を最初に伝え、すでに校区の学校や市教委とも話していることも伝えたら、私の苦労を労ってくれて感涙。話し合いと見学の日時を決めて終了。

《私立小学校》
専門校ではないので支援すべてを手厚くはできないかも知れないが、保護者の協力があるならもちろん受け入れます、とのことで、オープンスクールの日に個別相談をしていただくことを決めて終了。

電話で相談予約のをしただけなのに、ここまで心身をかなり消耗。今後、実際に出向いて話し合っていくのかと思うと嫌になってくるけど、嫌だからこそ効率よくやっていこうと療育園の先生方やママ友に励まして貰いながら、話し合いのための資料を夜な夜な作った11年前でした。

EDS 痛みと付き合う

「向き合う」となんか戦わなきゃいけないような感じがするけど、戦ったところで勝ち目はなさそうなので基本的にはスルーします。が、時々スルーできない程の痛みが押し寄せるのがEDSなので、さてどうしよう~という話。
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【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています。※筆者(てんの母)にも言及していますが、筆者はEDSの検査は受けていません】

季節性の不調。
発達障がいや精神疾患の方にはよくあるみたいで、てんさんの精神科待合室にも季節の変わり目にはグッタリした方が多くいらっしゃいます。
てんさんの場合は発達障がいだからこそ小さい頃からなんとなくタイミングがつかめていて予防はできているので感情の乱れはないのですが、代わりに(?)目立ってくるのが「関節痛」。普段の痛みはスルー、激痛なら病院なんだけど、この季節の変わり目の関節痛は、なかなか手強いのです。

発現する場所は以前に派手に傷めた所と、やはり気を付けてはいるけれども日々の生活で無理を強いてしまう所。
重ダルく、伸ばしたり力を入れると強い痛みを感じます。
あまりに痛い時、それでも動かなきゃならない時はロ○ソニンなど医師から処方された薬を惜しみ無く飲むから一時的にでも痛みから解放されて、やらなきゃならないことを果たした達成感も味わえるんだけど、ゆっくりできる日に痛いときが辛いのです。安静にしていても痛いし、かといって安静にしてるから強い痛みには発展しないので処方薬を飲む程ではないと我慢する、という辛さ。ただずーっと寝てるって訳にもいかないし。

【我が家の対処法】
とにかく温めます。基本中の基本です。
注:炎症があるなど温めない方が良い場合もあるので、まずは病院にご相談ください。そして試すなら自己責任でお願いいたします。

以下、試してみたことと、個人的な感想。

●お風呂にゆっくり浸かる
温まりすぎて熱くなって、結局はだかで身体を冷ます、という残念なことにならない程度に浸かるのなら効果的。てんさんは加減がよくわからないようなので不向き。

●足湯
効果は実感できますが、そもそもEDS関節型は重いものが持てないので、準備してくれる誰かが必要になります。我が家ではてんチチが大活躍ですが、日頃からのヨイショが大変なので考えものです笑

●温湿布
内部の痛みも取ってくれるので有効。ただし、剥がす時に気を付けないと肌を傷めるので、ぬるま湯で湿布を濡らしてから剥がしています。このぬるま湯が温かすぎると低温やけどを引き起こすので要注意。実はてんさんも私もそもそも肌が弱くカブれてしまうので限定使用。

●塩、小豆、こんにゃくなどの湿布
塩や小豆は温かい時間が短いので痛みを取るというよりはリラックス効果を期待して使っています。医療グレードレベルの精度の高いアロマオイルであれば一緒に使ってもよいかも。
こんにゃく湿布は横になって使って眠ってしまうなど使い方を間違うと内蔵に負担がかかりそうなので、
◾下半身の関節に、
◾はっきり覚醒しているときに、
◾座ったまま、もしくは立ち歩くときに
のみ使います。やけどに注意!

●あったかサポーター系
寝るときにはマストです。が、装着時間が長くなるので万が一炎症があることを考えて、うちでは関節ではなく関節の間(すね、大腿部、二の腕、前腕など)に着けます。私は特に股関節がひどく痛んだあとは大腿部に痛みが残るので、この方法を使っています。

●白湯、お茶を飲む
好きなお茶を飲みます。生姜湯とか温まりそうなものを飲むのももちろん有効ですが、辛いときくらい好きなものを飲んでよいよ~ということで、てんさんはディンブラや黒烏龍茶を好んで飲みます。

たまにてんさい糖を入れて。私は面倒だから白湯だったり白湯に生姜浮かべたりテキトーにやってます笑

●マッサージ
炎症があるとマズイので、さする程度にしています。小さい頃からよくマッサージをしてさしあげたなぁ。夕方から足が痛いと訴える事が多く、横になると痛みが増すようでよくナデナデしながら寝かしつけていました。
先日、私の母と話した時に「てんさん可哀想に。私が痛みをもらってあげたい」とか母が言っていて、「いや、そもそもアンタの遺伝子やし」と心の中で冷静に突っ込んだ、母には冷たい私ですが、てんさんには優しく接しております笑

●ネコ
抱っこしてよし、一緒に寝てよし。とにかく温めてくれます。時々、容赦なく痛む場所を踏みつけられますが。

治らない病気だから付き合うしかないので、今後もいろいろ試してみることになるでしょう。そんなことも実験感覚で楽しんで行ける心のゆとりを失わないようにしなきゃなー、と思う春であります。