ユルいのヨシアシ 

エーラスダンロスやら発達障がいやら絵やら

ダカラかダケドか その②

 

 

「発達障がいかも」からの「発達障がいです」と言われた時から今に至る、親としての心情などを書いてみる。


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発達障がいを持つ(かもしれないと医者から言われた)ご本人さんや保護者さんの参考になればどうぞ~とは思うけど、「こうすべき」とは思ってませんので悪しからず。

 

「ソコデの日々は楽じゃない」

 

「てんさんの発達障がい」について考えながら、試行錯誤、一喜一憂しながらの毎日は本当に大変で、覚えてないことが多いです。

記録はつけていたので振り返ることはできるんだけど、3歳半頃からは単に出来事を淡々と記録しているだけで、気持ちや感想は書かなくなってます。自分の書いた言葉にショックを受ける事があって、精神衛生上よくないと判断したからだったと思います。

 

精神科医か自己啓発系?の方の提唱に「感情をノートにぶつけて消化する」みたいなのがありますが、あれは私には向かなかったです。ノートにぶつけると、そのノートに触れるのが嫌になる、怖くなる。ノートではなく紙切れに書いていちいち破るというのもあったけど、感情的になにかを破壊する母を見て育った私には「破る」という行為かものすごく暴力的に感じて、できませんでした。

 

もちろん、向き不向きがあるので否定はしませんけどね。

 

療育施設や小児精神の先生方から発達障がいのなんたるかや対応を学びながら、てんさんなりの、家族なりの、うちの家庭なりの「てんさんの発達障がい攻略法」が段々と形になっていき、いよいよ小学校を普通校か特別支援学校かを決める段階で家族会議を持ちました。

もちろん、この日までにてんさん自身の希望を徹底調査。そして、実際に入学が可能な学校のリストアップと、それぞれの学校、教育委員会との進路相談は重ねてきている状況で。

 

「ダカラかダケドか」

 

●普通校なら「発達障がいダケド普通に合わせていく」

●特別支援学校なら「発達障がいダカラ(少なくとも今は)特別な支援を全面的にしていく」

 

細かく考えたのは

◾「今現在」最優先にすべきこと

◾「今現在」考えられる、実際に可能な支援

◾それぞれを選んだ場合の希望的観測とでき得るであろう支援の限界点

 

ここでは詳しい内容は書かないけど、上記のようなことを何日間かに渡って話し合いました。もともと事あるごとに話題にしていたとはいえ、小学校を決める=てんさんの人生の大きな舵取りになると思うとストレスで心身ともにボロボロでしたが、今が頑張りどころだ!と、療育施設の先生方の励ましを力にして乗り切りました。

 

「ダケドなのでダカラ」

 

てんさんと家族が選んだのは「発達障がいダカラ(少なくとも今は)」特別な支援を全面的にしていく」特別支援学校。

 

これは、てんさんと家族の大きな決意である

「発達障がいダケド、社会参加をすることは可能だし、社会人としての義務や責任を果たすことも、人生を楽しむことも可能」という強い思いと希望があったから。その上で、

ダカラ、赤ちゃんの頃から辛い毎日を送ってきたてんさんが、人生を楽しむ気持ちの余裕を得たり、人との繋がりの大切さを安心できるなかで感じる必要がある」と考えたから。

 

記録ノートには、

「発達障がい、恐るるに足らず!」

「受け入れれば自分の一部になる。自分の一部であれば慈しみながらコントロールしていくことは可能!」

と書いてあって、かなり盛り上がった様子。

 

今、高2になったてんさん。小学部でまさかの担任からの療育の拒否を受けたり、パニック発作が「パニック障害」に昇格(?)したり、身体的な難病疑惑(現在は確定)が生じたりと順風満帆なわけではなかったけど、てんさんは穏やかに育ってます。落ち着いていて、失敗を恐れず、苦手なことにも自分なりの対処法で立ち向かっていきます。失敗しても、そこから学ぶ事ができる精神力を養えていけています。

 

高校に入る時にてんさんに質問したことがあります。

 

「てんちゃんさぁ、自分の事好き?」

答えは笑顔で「うん」でした。

 

自分の事が好きなら、自分のために努力ができるよね。自分が辛いときに、なんとかして自分を助けようとするよね。

 

この子は強い、大丈夫だ。この道で一緒に頑張ろう!

 

そう確信しました。