ユルいのヨシアシ 

エーラスダンロスやら発達障がいやら絵やら

遺伝性疾患に思ふ

今回は私の話。
確かに、私もユルいんです苦笑

言い出したら、私の母も兄も甥も、従姉妹も1人、ユルいのがいます。

【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています】


指が反り返るのは当たり前だと思っていました。膝がズレたり足首が浮いたり股関節が脱臼するのは単に私がガサツだからだと思っていたし、肺が破れた時は私も兄も医者から「疲労骨折みたいなもんかなー」と言われて、別に疑問にも思わなかったし・・・。

遺伝してしまったことを息子のてんさんに申し訳ないとは思わないけど、なんだかなーという、よくわからない思いはあります。

エーラス・ダンロス症候群は片親が持っていれば50%で遺伝すると書かれてありました。
見事に2分の1を引いたわね~なんてつとめて明るく話す毎日。てんさんは、将来の夢だった獣医を諦めました。

発達障がいでも適切な支援があれば勉強できるんだ、社会に出て働けるんだ‼️ということを証明しようと頑張る毎日、小さい頃は二次障害を引き起こすようなストレスを感じながらも、それでも自分を大切にしつつ、ゆっくりだけど成長しながら努力を重ねてきたのに。

獣医は力仕事が多い。もともと亜脱臼はしていたので、それを考慮して獣医師免許を取得しても研究職か衛生管理の方に行きたいな~なんて話していたのだけど、まさか進行性の特定疾患とは思わなかったので、なかなかショックが大きい。とりあえず生物学の勉強はしたいから獣医師免許だけ取るという案も出たけど、実習の段階で力仕事だらけなので難しいだろうと。

私が「自分は脱臼しやすい」と感じ始めたのも、てんさんと同じくらいの頃。趣味は手芸だったので運動のしすぎということはなく、でも運動不足というほどではなかったはずです。田舎だから歩くし。
膝の疼痛を感じる事が多くなってきた中学生の時に大きな病院で調べたら「膝蓋軟骨軟化症」と診断されて、まあ特に疑う事もなく痛いときは痛み止で済ませ、そのうち股関節が脱臼したり痛みが強くなってきたけど、その頃には仕事に追われて深く気にする暇がなく過ごしてきました。不定愁訴は繰り返していたけど、まあ時代ってやつですな、甘えてるとか大げさで済まされてきました。
そう、初めて肺が破れた時は大人だったけど、「痛いのは甘え」と自分でも思っていたので3日放置。さすがに横になったらサーッと冷たい何かが流れる感じやら胸に力を入れると胸腔内でブクブクなるからヤバいと思って病院に行きましたが・・・。

痛みには慣れることができる。側座核とやらを満足させる術をいつのまにか習得していたようで、手っ取り早く達成感を得るために人のために何かする→喜んでもらって達成感を得る、という、ある意味人任せの方法で危険ですが、でも痛みに慣れるという技能をマスターしたし実際にいろんな事ができるようになって結果オーライではありました。仮に喜んでもらえなくても大丈夫な程度を頑張る、という大切なスキルも身に付いたし。言うなれば「痛みと共存」みたいなものかな?
でも、痛みに慣れてるだけで、痛くない訳ではありません。

私はエーラス・ダンロス症候群の診断がついてるわけではないけど、最近は全身の疼痛が慣れてるとはいえ無視できないレベルになっています。朝から痛いし、眠っていても痛みで目が覚める、亜脱臼、歩けるけど疲れが抜けない・・・のは、単なる加齢かも知れないけど笑

私が痛みを訴え始めた中学生の頃から、私の母は自分の痛みと戦うので精一杯でした。やはり彼女も小さい頃から股関節脱臼があり、時代や経済的な理由から脱臼したまま長く放置したせいで手術が必要になった程。そして、術後は片足が10センチ位短くなってしまい、その容姿や歩き方を親や家族にすら「できそこない」「恥ずかしい」と言われて育ってきたので精神的にも不安定な人。

てんさんが今の私と同じ歳になる頃は、私は私の母よりもずっと歳をとっていることになるけど、その時でもてんさんが傷みを訴えたら気持ちを受け止めてあげたいな、身体をさすってあげたいな、と思うのです。