ユルいのヨシアシ 

エーラスダンロスやら発達障がいやら絵やら

発達障がい 4月にしてきたこと

特別支援学校に通うてんさん。「特支」というと、プロフェッショナルばかりでお任せしとけば大丈夫!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、人格を育てる大事な時期に他人に任せっきりにして大丈夫なんて、そんな訳ありません。ましてや発達障がいの症状や必要な対応には個人差があるし、そもそも発達障がい自体は特別支援学校入学の対象ではないし。

入学そのものに関する話はまた必要な時期にするとして、とりあえず今回は4月に学校と話し合ってきたことをまとめてみました。

 

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【発達障がいは、その表出の仕方に個人差が大きくあります。このブログに書いてあることは、あくまで私と息子・てんの経験したことです】

 

《入学式・始業式前に》

●入学式や始業式に参加するのか

●クラス、担任発表について

●翌日からの荷物について

 

○入学式や始業式に参加するのか

特に小学部の入学式は親としては参加させてあげたいところ。ただ、てんさんは広くて音が響く体育館やそもそも式典は苦手。そこで、「参加させてあげたい」のはなんでだろう?と考えました。

私が持っていたイメージは、時折私の方を見たりして緊張しながらも嬉しそうにしているてんさん。服は白いシャツに紺色のズボンで、髪はちょっとだけセットして……いやいや待て待て、無理に決まってるわ、そもそもてんは式典は苦手でしょう。

じゃあ、なんで参加させてあげたいんだろう?思い出のため?いや悲惨な思い出にしかならんだろう。

式典を経験させてあげたい?てんにしてみたら拷問を受けるも同然の経験だな。

じゃあ、なんで?

…そうか、私が見たいんだ、緊張しながらも嬉しそうに参加する息子を。小学校入学は人生で一回だけ。親としては見て感動したい、自分を誉めたい、その他もろもろ。

てんは学校に行く必要は理解している。学校に行きたいとも思っている。ならば、入学式ごときで挫けさせるのは親としてやってはいけない……と、判断しました。

そこで学校には、「いろんな思いはありますが、息子の学校生活をすんなり始める第一歩として入学式には参加せず、出来れば教室待機をしたい」とお願いしました。当時は発達障がいへの理解は今以上になく、担任の先生には母の思いは理解していただけなかったけど、校長先生と教頭先生は一定の理解をしてくださり無事に教室待機が実現。全体の式が終わったあとに校長先生、教頭先生、学部主事の先生が教室にきてミニ入学式をしてくださいました。「入学おめでとう」と書かれた黒板の前で記念撮影もでき、とてもよい思い出になりました。

学年が上がるにつれて成長したり周りに興味が出てきたり、他者視点を覚えたり、なにより学校や先生方に安心感を持つようになってからは、式典にも参加出来るようになってきました。

初めは体育館の入口に立って、次は入口付近に置いた椅子に座って、体育館の一番後ろの席で、クラスの一番後ろの席で慣れた先生と一緒に……段々と、少しずつ。毎年毎年、先生と話し合ってきました。今では白いシャツに紺色のズボンでネクタイまでして参加できます。もちろん他の生徒に混じって。待つって大切だなぁと心底思います。

 

○クラス、担任の発表について

いつもと流れが違うと不安になるてんさんはただでさえ’‘’新‘’学年で不安な訳ですから、クラスや担任の発表イベントは苦痛そのもの。そこで、「内容を事前に聞くのは【合理的配慮】を越えていると判断しているので、発表の時間は別の部屋か廊下で待機しておき、みんなに発表したあとにサッと聞いて合流というのが理想です」とお伝えする。

「合理的配慮を越えていると判断している」という一言は面倒でも毎回使うべきだなぁと実感しています。こう言うことによって、学校運営に協力的だと伝わるし、なんでもかんでも思いどおりになるとは思っていない、つまり、ここは押さえてほしい!という点が強調されやすくなるので、後々の交渉が有利に運びます。

この発表イベントはいまだに苦手なようで、今年も教室で待機かな。もう高校生なので自分で言わせるようにしていますが、実は内緒で前もって主事や教頭先生には本人がキチンと言える環境をつくる対応をお願いしています。

○翌日からの荷物について

置き勉が可能な学校や学年もあるでしょうが、不可の場合は対応を話し合います。

「荷物が重いことが精神的に負担になる」のがメインならば甘えさせてはいけないという考え方もありでしょうが、基底に発達障がいがあって、しかも学校に行く意義を理解できていないならば、行きたくもない場所に重いものを持って通うのは苦痛で、学校そのものが嫌になりかねない、ということで、【合理的配慮】として置き勉を許可していただきました。

学年が上がって家庭での勉強に教科書が必要だとてんさん自身が感じるようになってからは必要なものについては持ち運ぶようになりました、が、すぐに肩に内出血やら肉割れが生じたので、以降は家用にもう一組、教科書を購入するようにしています。うちは主人と私のこだわりで義務教育時代から自腹ですが、いろんな制度があるかもしれないので、調べてみるとよいかも。

 

《学期が始まってから》

●個別支援計画

●苦手について

●体調管理

 

○特支や支援級には個別支援計画というのがあって、本人の現状や将来の希望などに添って短期、長期の目標を立てていきます。

これはめちゃくちゃ大事。学校というのは行政機関の一部なので、入れた書類以上のことは基本的にできません。こちらにしても、「お願いしてない事を勝手にされて崩された」なんて事態には発展させたくないので、最初の段階で本人と詰めて、家族内で詰めて、練りに練ったものを学校に入れて学校とさらに詰めて決定する、そして必要が生じたらすぐに改訂することが大事です。 

困難を抱えている小学校低学年の時に将来と言われても想像しようがないでしょうが、そこは冷静に、なりたい自分、なってほしい我が子を、現実的な見方も忘れずに詰めていく。困りを見つめ、厳しい現実的な将来を突きつけられるなかなかツライ作業ですが、ここを頑張るのが障がいがある子を育てるのに大事な部分だと思って頑張りました。

 

○苦手について

苦手をどうしたいのか。個別支援計画を立てたら、具体的に実施の仕方を決めていきます。すぐに出来るように教えて(または治して)いくならば、その具体的な方法や関わりかたを【合理的配慮】の中でやっていただけるようにお願いします。もちろん、保護者側も一緒に頑張ります。

子どもが学校で先生から教育的に接されたことを保護者に愚痴る時に子どもの気持ちを受け止めることは大事ですが、子どもと一緒に学校の悪口を言うのはマズイです。これをやると、せっかく立てた個別支援計画も上手くいきません。親が悪く言う人と仲良くしようなんて子どもはあまりいませんから。

内容によっては学校と話し合う必要がありますが、これも早めに。連絡ノートをこちらで作って渡すなどしとくと変化に気づきやすいです。

 

○体調管理

朝起きるために、どう過ごすか。義務教育中なら朝起きられないという理由での遅刻にも対応してくれますが、本当にそれでいいのか。もしくは、今はそれでヨシとするのか。

高校であればそうはいきません。本人が起きれないなら保護者に起こす責任があります。特支だってそれは同じ。障がい種や程度よっては認められますが、単位制の普通科であれば卒業したり卒業できずに困るのは本人なので、しっかりと体調管理の大切さを教えて行こうと思い頑張っています。

 

てんさんは体育授業にも配慮が必要だったので、医師の診断書と共にお願いをビッチリ書いた紙をお渡ししていました。

いずれにしても大切なのは、学校は仲間であって敵ではない、と認識することではないかと思います。我が子を育てる壮大な計画のチームの、かなり多くの時間を一緒に過ごす大切な仲間です。計画を進めるために、仲間を敵にしないために、よく話し合って信頼しあって、相乗効果で力を増し増しにするのです。

 

今年も頑張るよ~、でも、てんハハちょっと疲れ気味だから学校に頑張ってもらおう~。

EDS サポーター戦記・ハハの昔話

関節痛、脱臼しやすいとくれば、サポーターや装具は必須アイテム。しかし、てんさんも私も外見に響かせたくないお年頃。そんなお話。


【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています。※筆者(てんの母)にも言及していますが、筆者はEDSの検査は受けていません】
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さて。
【脱臼ハザード】の最たる対策は身の守り。つまり、装具やサポーターの力を借りて自由で弱い関節たちを固定・保護してあげるのです。いつもと違う痛みを感じるときや完全に脱臼した後は医師の指導のもとでキチンとした装具の技士さんに合わせてもらった装具をつけるべきなのでしょうが、しかしキチンとした装具というのはなかなかの存在感なので普段使いには向きません。
普通に歩いただけで脱臼するような状態になれば話は別でしょうが、今は、「家の外で亜脱臼だの脱臼だのしたら周りに迷惑をかけるし、なにより痛いとか悪化させるのはできるだけ避けたい」のでサポーターを着けて予防しておく、という感じ。


《巡り合うまでは散財》

私が初めてオーダーメイド的なサポーターを作ったのは13歳の時。オーダーメイドとはいえ、今から40年前のことですから機能的にも見た目的にもイマイチ。現物はすでに無いのですが、要するに膝の上下20センチはあるようなデカイ普通のサポーターの膝蓋骨部分に穴を開けて、その穴の部分になにやら硬いものを仕込んで、膝蓋骨そのものを周りから支えて動かさないようにするのが目的だったような1号機。

デカイ、重い、穴の周りの接着剤がガチガチに固くて痛い、可憐(さを目指していた)女子中学生には見た目も渋い…そしてなにより関節痛の軽減や不安感の解消などの、使用したことによる喜びもないということで、ただただツライものでした。

当時の診断は膝蓋軟骨軟化症。詳しくはわからない(正解に言うと覚えてない)けど、歩くと痛い、歩かなくても痛い、とにかく疲れる、足が重い、足を切って捨てたいと思うような辛さだったけど、私の母も当時は先天性股関節脱臼の大昔の手術の金具が外れて大腿中をさ迷うという恐ろしい状態になっていて痛みと戦う日々だったのであまり構ってもらえず、その精神的な負担や不安が痛みの大きな要因になっていた気はします。
 
そんなこんなで使いづらいサポーターはタンスの肥やしとなり、理想のサポーターを探す旅が始まったのです。

《見せるのか、隠すのか問題》

薄幸の美少女というキャラでないことは自覚していたので、いっそサポーターに見えない方向にしよう!と思い付いたのがニーパッド。アメリカ西海岸で短く切ったジーパンとローラースケート履いて、コーラ持ってるイメージです。
キャラ的にはコレ。明るく前向きで社交的…に見えるけど中身は悲観的で寂しい家庭環境…みたいな設定も70年代アメリカン青春ムービーによくあるし!…なんだけど、ここは日本の田舎。体操服はブルマなくせに、私服で短いパンツなんか履いてると途端に妙な噂がたって面倒なことになります。
当時は実は生きるので精一杯くらいの心理状態でそれらに抗う気力もなかったので、西海岸化計画は実行に移す前にあえなく断念、いわゆる普通のサポーターとの死闘の道を選びました。

《2次加工してみる》

市販のサポーター、というと白色か薄橙色か黒色。
スカートだと膝サポーターはどうしても見えてしまう場合があるので、服に合わせて染めたらいいんじゃん!と思い付いて加工してました。

〔ご注意〕
もし試してみる場合は、染める過程でサポーター自体の収縮性とかゴムが弱ったりする可能性があるので、染料の使い方も合わせて全てご使用は自己責任でお願いしますね。未成年の方は保護者の大人と一緒にご使用くださいね。

いわゆるスパッツとかに見られて良かったです。レースやビーズを縫い付けてもいいかも。今度やってみます。

《部位によってはテーピング》
そうこうしてたら、いわゆるヒールの靴を履くようになった19歳の頃には股関節の亜脱臼が当たり前になり、その痛みの方が強くなってきたので股関節用のサポーターを買い漁るようになりました。
しかし、「骨盤引き締め」効果は期待できても「脱臼予防」となると市販品では難しい。この頃の私はすっかりヤサグレていたので笑、病院など健康に気を遣う人が行く場所、私は刹那に生きるのだと敬遠していたため痛みは酷くなる一方(真似しないで、ちゃんと病院に行ってね)。

時代はボディコン。セクシー路線は好きではなかったけど、元気者キャラの演出として健康的なピチピチした服は好きだったので、外観に響かないテーピングを使うようになっていきました。
今のように動画サイトで専門的な知識が無料で得られなかったので、とりあえず友達になるのは看護師とかPT、整骨院の先生ばかり笑
彼らがお金をかけ時間をかけて習得したであろう技術と知識を持ち前の愛想の良さで次々にゲットし、素晴らしきテーピングライフを送っていましたが、代価を払わずに得たものへの代償が求められる時がきました。

ある夜、疲れていたためにテーピングを雑に剥いでしまい、幅1センチ長さ5センチくらいの皮膚が一緒に剥げたのでした。
ぎゃあぁあああぁああぁ。

それ以来テーピングが怖くなり、今でも絆創膏ですらビビりながら剥がしています。
そういえば、肺を破って緊急手術をしたときに、麻酔から覚めたらあちこちテープで管を止められていて、嫌な予感がしつつも元気者キャラ演出が邪魔をして「肌が弱い」くらいにしか伝えなかったら、背中のテープを剥ぐときに皮膚も一緒に剥がれ、むしろ看護師さんがビビる、ということもありました。

そんなこんなでテープは使わなくなり、膝や股関節などのサポーターが目立たない服を選ぶようになりましたとさ。


パンツが主流の頃はスカートを探すのに苦労したけど、今はヒラヒラふんわりした服をネットで色や形まで選べて、しかも安いからいいですね。
しかし、固くて滑らない生地だとサポーターに引っ掛かってまとわりついて歩きにくいので、インナーペチコートを履くか、柔らかい生地を選ぶと大丈夫なようです。

ユルいのヨシアシ

【ユルさ】とはなんなのか。発達障がいで感覚過敏も鈍麻もある息子を育てる、てんハハの個人的な解釈。

※かさねて書きますが、あくまで、個人的な経験と個人的な解釈です。

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【ユルさ】を肯定的にとらえる時代

ユルい子育てとか、ユルい家事とか、ユルい生き方とか、当たり前のように【ユルさ】が良いものとして扱われる時代になりましたね。

決して努力しないと言う意味ではなくて、頑張りすぎないとか、人と比べないとか、そんな感じなんだろうか。

 

てんさんに育てにくさを感じ始めたのは1歳くらいの頃からかな。泣き方が強いというか、代替案とか融通がきかない泣き方をする子だなと思っていました。癇癪とは違う、強い泣き方。

強いのは泣き方だけではなくて、喜びの表現の時も。嬉しいと自分の手を噛む人だったんです。そりゃあもうガッチリ噛むので、血が滲むこともしばしば。そして、喜びがピークに達すると一気に落ちてギャン泣き。普段は大人しい、というか、少し反応が鈍いかな?って感じだったので、まるで「弱からターボ、ターボから故障」みたいだと、ちょいちょい訪問してくれてた保健師さんに相談していました。

1歳、2歳と順調に検診で情緒面に引っ掛かり笑、3歳前にはいわゆる発達障がいの疑いがついていました。

表情は確かに控えめだったけど、私にはよくしゃべるし本当に普段は穏やかに笑う子だったので発達障がいと言われて納得いかないと思う反面、私にしかなつかない、外では一切笑わない・しゃべらない、ひとたび泣き出したら短くても1時間は泣き続ける、夜中に泣き叫ぶ、物を分解する、テレビを怖がる、そして関節ぐにゃぐにゃ…などがあって違和感を抱いていたのも事実なので、素直に小児精神の専門医を受診、各種検査の後はあっさり発達障がいの診断がついて療育園→特別支援学校という流れでした。

 

療育園で教えられた、【ユルさ】

 

私はどちらかと言うとユルいのは嫌いでした。というか、社会の一員として生きていく以上、一定の基準に達していることが求められるし、その基準は高い方が社会にも自分にも益になると考えていました。

もちろん、基準はいろいろあるので自分に合った場を探して無理がない生き方をすべきとは思ってましたが、あくまで社会に自分が合わせていくのが当然と思っていました。

療育園は子どもに対しての治療と教育がメインなんだけど、「こうあるべき」という見方から「これもアリ」という見方にシフトチェンジすることを保護者にも教えてくれる園で、過敏なてんさんを守りながら成長させる考え方の癖をトレーニングできたなぁと感謝しています。

「社会に合わせられないからダメ」で終わるのではなくて、「じゃあ、どうしたら合わせられるのか」を社会と擦り合わせていく、という考え方の癖をつけ、実際に考え、双方にとって無理のない合理的な代替案を出し、細かく擦り合わせていく、という感じ。

今もあまり【ユルい】のは好きではないけど、そこを擦り合わせていく合理性は身に付いた気はしていて、今のところ【ユルさ】=【ニーズに合ったバランスを調整する事】ととらえています。ニーズは性格や家庭環境や時代などで様々、そして同じ人物でもライフステージによって必要が変化するので、ちょこちょことバランス調整が必要になる…みたいなイメージ。そのバランス調整が自分でできるようになるのが、自立に必要な大きな要素なのかなと考えて子育てしてます。

 

ユルいことは悪くない、が、ユルさのバランスは大事、と考える50の春です。

もちろん、関節のユルさはダメだけどね!

 

EDS 学校への説明・体育編

いよいよ本丸、体育科の先生への説明です。ここまでに担任や主事に【理解者】になってもらっていると話がスムーズにいきやすいし、その後の徹底にも繋がりやすいように思います。

【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています】


《準備》
●着替え
●装具装着・取り外し確認

《運動内容》
●ストレッチ・準備運動
●禁忌な運動・競技
●クールダウン

《心理面・その他》
●疎外感
●評価・単位

それこそ、担任や主事にはさんざん説明して情報共有もお願いしているけれど、確認の意味も込めて一応、EDSについてと、膝と足首は動揺関節であること、特に膝の内側の靭帯はすでにベロベロなことを説明。実際に過可動域に達している状態の本人の写真も見せながらだと効果的。

てんさんの場合は原因はEDSではないかもしれないけど心機能障害、肌の弱さ、視覚での認識の弱さなどを持っているので、その辺もさりげなく説明。そして細かい話に突入。時間が限られているので、箇条書きにしたメモは必須。

《準備》
○着替え
特に運動後はフラつきがあるかもしれないので、更衣室に椅子を置いていただきたいとお願い。

○装具の装着・取り外し
運動用の装具はグラウンドに出てから装着するので、しっかり着けているか、指装具は外しているかの確認をお願い。
ただし、ボール運動のような指に力が入る運動などの時は、指装具は着けたまま手袋をするようにご指導くださいとお願い。

《運動内容》
○ストレッチ・準備運動
何もかもが悪い訳ではなく関節にいくらかの負荷がかかると外れる、伸ばしすぎると外れるだけなので、自重で行う、いわゆる普通の可動域内での動きならば問題ない事を伝える。
ただし、肘と膝は重力に負けて変な角度で落ちやすいので、肘や膝を伸ばした状態で腕や脚を上げての動きの時は手首・足首を支えてあげてください、もしくは、その動きは行わないでください。
首も過可動なので、普通の可動域を越えないように支えてあげてください、もしくは行わないでくださいとお願い。

○禁忌な運動・競技
◾野球・テニス・バレーボールなどの肩に負荷がかかる、腕を勢いよく振る競技
☆グランドゴルフ程度ならOK
◾サッカーなど、脚の動きが複雑になる競技
☆まっすぐに軽く蹴るなどはOK、試合形式だと夢中になって脚をぐねるからNG
◾ジャンプ
◾水泳クロール、背泳ぎ
☆平泳ぎを短距離ならOK
◾全力疾走、うしろ向き歩き

○クールダウン
急に運動を始めたり終えたりすると心臓と血管に負担がかかるので気をつけていただくことを強調してお願い。

《心理面・その他》
○疎外感
動ける事が前提の授業内容なのは仕方ないが、とはいえ見学や玉拾い、審判ばかりでは辛いので、たまには参加できるような競技を組み込んでほしいとお願い。

○評価・単位
◾評価が低くなること自体は問題ないが、決して参加したくないと思っている訳ではないことをご理解くださいとお願い。
◾単位については参加ができないとしても認定ができる措置を講じていただきたいとお願い。

体育科の先生は熱い。いろんな専門性をお持ちの先生方の中でも、より子ども目線で一緒に身体を使うことによって障害や困りを抱える子どもたちに寄り添ってくださいます。だからこそより細かに、より深く理解をしていただけるように丁寧に説明をすることが大切だと、実際に話してみて実感。

お互いに「何か不安な点とか新たな動きがあったらすぐに連絡を取り合いましょう」との意思確認して終了。
実際、体育を見学したいとの急な申し入れにも快く応じてくださる、信頼できる心強い先生方です。

遺伝性疾患に思ふ 母の症状

脱臼と疼痛で整形外科にかかっているワタクシの、かかりつけ医に痛み止をもらうついでに息子にEDS診断がついた事を報告しに行った時の話。

 

【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています】

 

「脱臼した?」とまず訊かれるのが通常なんだけど、今回は受付で「先生に相談がある」と言っておいたので、なんだか看護師さんたちも神妙な雰囲気(な気がする)。

もしかしたら、数ヶ月前に脱臼して自分での整複に失敗して熱を出した時に、「でもコロナ禍だから高熱だと院内には入らせてあげられない~」みたいな対応の時以来の受診なので、文句を言いに来たと思ってるのかも。

呼ばれて診察室に入ってみたけど先生はいない。モニターには、例の高熱の時の会話内容や経過が写し出されている。

 

かかりつけ医とは長年の付き合いで、今の家に引っ越してからだからもう20年近いかな?

内科、循環器、整形外科、皮膚科など、いろいろあって便利。なんだかマズそうな時はすぐに大きな病院に紹介してくれるし。

私も脱臼が頻発する股関節に関しては何度も大きな病院に紹介されているんだけど、病院にかかるのはいつも脱臼か脱臼の整復に失敗するかのどちらかで、重大でも緊急でもないので、かかりつけ医で診てもらって必要なら薬を処方してもらうことにしてます。

そういえば、息子が産まれた時に、手のひらを上にして抱っこすると肩や肘が外れるから、手のひらを下にして、手の甲側に赤ちゃんを乗せるんだよーと教えくれたのも先生でした。ありがとう、かかりつけ医。いつも関係ない話が長くなるけど、それも含めて面白い先生です。

さて。以下は会話形式で。

「あのあと股関節はどう?」

「ありがとうございます。すっかりキレイに入ったんですが、その後にまた脱臼して今は痛い状態なんで薬をください」

「薬な~、痛い?」←(嫌そう)

「息子がエーラス・ダンロス症候群って診断されました」

「えっ」

「私の方の遺伝子ですよね?」

「だろうねぇ・・・でもごめん、僕にはどうにも出来ない。正直、なにをどう検査したらいいかもわからない、ごめんなさい、大きな病院に紹介しようか」

「いいんです。私は今さら診断がついても困るし。ただ、もしエーラス・ダンロスなんだったら、痛いのは当然ってことで、もう痛いのを我慢しなくてもいいのかなと思うんですけど」

「痛いみたいだよね」

「なので、痛み止めがほしいです」

「了解了解、出すよ、90錠くらいでいい?」

「えっ?多くない?」

「じゃあ、60にしようか」

「いや、30でいいです、また整復に失敗したら来るし。大事に飲みます」

「いや、大事に飲まなくても出せるから、痛いときは飲んでね、胃薬も出しておくから」

 

という、あれほどロキソニンは飲みすぎるなと言ってたのに、この手のひら返しがチョー怖い((( ;゚Д゚)))

こんな会話以降は、EDS患者さんがよくやられているらしい過可動関節の写真撮影会になりました。股関節以外の関節を診ていただいたことはないので、実はあちこち過可動な私の関節を見た先生はとても楽しそうで、いつのまにやら若い先生と看護師さんが一人増えて撮影会の様子を見ていました。

ちなみに、こちらの先生はエーラス・ダンロス症候群という病気は知ってるけど、患者に会ったことはないし会ったことがある同業者にも会ったことがない~とおっしゃっていました。そういえば、てんさんの精神科の先生に報告に行った時なんか、先生が感心したように、「初めて聞いたわ~どんな病気?先生も今度調べておくね、いや~珍しい病気なんだね、うわ~他の先生に自慢しよう」って、盛り上げて(?)くださいました笑

やっぱり少ないのね。というか、関節型であれは無症状や無自覚のまま生涯を過ごせる方も多いだろうし、私もそうだけど、脱臼はクセになるもの、しょっちゅう痛い痛いと言うとイタい人だと思われるのが嫌、検診とかでは引っ掛からない、なんて要素がからんで気づいてない、もしくは気づかないフリをしてる人が多いのでは、と個人的に予想。あと、全身疼痛から心療内科を受診して完結、という方も今は多いのではなかろうか。

そして、ワタクシ個人的な最大の見逃しポイントは、「家族みんな関節ぐにぐにで関節痛持ち」だから。これです。犯人は。

そんな中でも異彩を放っていたてんさんの関節過可動と小さい頃からの痛み。大事に至る前に、私のような痛みを我慢するあまり屈折した性格になる前にハッキリ分かってよかった。てんさんが前向きに生きていけるように、一緒に病気と向き合っていこう、と思います。

 

EDS 学校への説明・日常編2回目

学校への説明、その2。

立ち話で説明をすることも多いけど、確実に対応してほしいこと、全教員に共有して欲しいことは箇条書きの文章にして渡したりメモを取っていただきます。

【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています】


●筆記補助具の使用
特別支援学校とはいえ、高等部の進学コースを選択となれば毎日6限までお勉強。
板書の書き取りが遅いてんさんには合理的配慮でデジカメ使用が許可されてはいるけれど、大学進学~一般採用を狙う以上はできる限り「書く」練習にも取り組みたい、ということで、補助具を使うことにしました。
というのも、てんさんは少し力んだだけで手の親指のCM関節もMP関節もガッツリと中に入ってしまうので、とにかく不安定。きれいに字を書こうにも線はガタガタ、筆圧はバラバラ、なにより疲れやすいので長くペンが持てません。
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主治医からは普通のペンではなくタブレットのメモ機能やタッチペンを使うようにとの指示なんだけど、他の生徒への配慮もあって個人のタブレットを持ち込むことは難しいし、ウチとしても補助具を使えば今のところは強い痛みも出ないので、とりあえず。

●装具装着手伝いのお願い
てんさんは不器用。丁寧に取り組むので仕上がりは悪くないんだけど、不器用ゆえに何事にもとにかく時間がかかります。
特に指先に力を入れて行う作業は、見ているとイライラしてくる場合もあるかと思われます。
体育、身体を使う自立活動の時には膝と足首に装具を装着する必要があるのだけど、固いサポーターを引っ張って適切な位置に止める作業はさっさと出来ることではないので、

○時間がかかっても急かさない
○必要な時は手伝う
事をお願いしました。

○なぜ時間がかかるのか
○なぜ指先に力を入れて行う作業が苦手なのか
○鍛えてどうにかなる話ではない
の説明をするには上の写真を見せながら、そして私の関節を実際に亜脱臼させながら(笑)先生方にも手を動かしていただいて過可動の意味を理解してもらう作戦。
体育科の先生はどうしても、鍛えたらできるようになる、弱いからこそ鍛えてあげねば!という経験からの親切心が大きく働く方が多いので説明しても最初の反応はイマイチなんだけど、関係を損なわないように言葉のチョイスを慎重にして、事故が起こる可能性を強調したり、病気を悪化させる危険性などにも展開して、時間をかけてしっかりと説明をします。

●心理面の保護
てんさんの学校は小中高の多学年が同じ校舎で活動しています。障がい種も重度、肢体、知的、精神、病弱と、なんだかカオス。
中には悪気なく思った事を言葉にしてしまう子や、いわゆる中二病をこじらせたような感じの子もいて、てんさんの装具や配慮をカッコイイ!うらやましい!と思う子がいます。
その子達自身も困りや障がいを抱えているので注意をしてほしいとは思いませんが、

○装具はオシャレで着けてる訳じゃない
○歩けるのに場合によって車椅子を使うのは甘えてるからとかズルではない
○やらないのではなく、できない、もしくはやるべきではない事なのだ
○関節が柔らかいのではなく病気で弛く、もろいのだ
という点を、必要に応じて生徒さんたちにも説明してもらいたいとお願いしました。
(装具について詳しくは別記事で)

加えて、保護者のみなさんにはチャンスをうかがって私から草の根運動的にご理解をいただけるように説明していく旨を学校にお伝えしました。保護者の中には肢体不自由の子や内蔵疾患、難病の子がいる学校だとご存じない保護者さんもいらっしゃる(!)から、身体的には困りがない子には当たり前のちょっとした行動が大事故につながってしまう可能性を認識できてないなんてことが見てとれるし、逆に、見た目で障がいや病気がわからないてんさんのへの配慮は、知らない人からすると贔屓や過保護に見えたりもするようで、いろいろと摩擦や誤解を生みやすいので。

学校は個人情報のアウティングにならないようにと配慮してくれますが、病気に関しては知っておいていただかないと事故につながる事が予想されるので、ウチに関してはバンバン言っちゃって構いません!との一文を添えることも忘れずに!

こうした学校や職場への説明は、先々はてんさん自身ができるようにならないといけないので様子を見て大丈夫そうなら本人も同席させますが、ただでさえセンシティブなお年頃だし、夢を諦めたばかりの身には過酷な現実なので、そこは追々できるようになればいいのかなと思う次第であります。
余談ですが、EDSは遺伝性で両親のどちらかが軽度だとしても「普通と違う」症状を持っているということになり、我が家の場合は私が診断してもらった訳ではないけど関節過可動、脱臼、慢性疼痛、傷が治りにくいなどEDS症状アリアリで必要とする支援をよーく分かってるから人に説明しやすいし、亜脱臼など現物を見せられるので理解が得られやすいことを実感できます笑


EDS 学校への説明・養教編

体育は見学、自立活動は身体を使わない内容で調整して、とりあえず考えられる校内での【脱臼ハザード】の対策はできたので、緊急事態が発生した時のために養護教諭にお願いに行く、の巻。

【EDSは症状や重症度において個人差が大きい病気です。このブログでは私の息子のてんについての事を書いています】


今の養護教諭はてんさんが小学部の頃から本校に勤務されてる先生。てんさんは医師から脱臼しやすいと言われてることや肌が弱いこと、不整脈やら心音に雑音が混ざること、自律神経失調症状などはもともとお伝えして対応していただいてるので話は早いだろうと思ってました。コラーゲンに問題があるかもって話も以前からしといたし。

他の特別支援学校や普通校なら担任に養護教諭との面談を申し込むのかもだけど、てんさんの学校の場合は保護者であればその日の体調等を事務室に届け出れば自由に校内を動けて、これまでも小さなことでも何かある度に保健室に行って話をしてきていたので、今回も朝のルーティンが落ち着いた頃を見計らってアポ無し訪問。
さすがに養護教諭、落ち着いた口調と優しい表情で、まず私の心理面と体調を気遣ってくれました。感涙。

これまでに医師から言われたこと、担任や主事にお願したことを確認しながら、【いざ、事が起こった時の対応】を協議。

●救急病院と主治医の確認

《脱臼》
●骨折か脱臼かの見極め
●整復できる教員がいるなら、整復をお願いするのか
●亜脱臼、捻挫

《失神》
●脱臼のショックか他の原因かの見極め

《胸痛》
●脱臼によるのか、気胸によるのか、心因性によるのか、それ以外の見極め

《皮膚》
●スキンテア
●日光によるほてり、発赤
●内出血

《自律神経》
●めまい、動悸

《心理》
●不安
●万が一、教員から理解がないことを言われた時の悲しみ(例:関節が柔らかくて羨ましい、先生も柔らかくてどーたらこーたら、鍛えれば強くなる、こんな軽いものも持てないのか等)

《与薬》
●不安に対する頓服薬
●疼痛に対する頓服薬

以上を、てんさんと私の脱臼実績笑を交えながら対応をお願いしました。
特に私が養護教諭にお願いしたのは心理面。転任や途中採用などでよく事情を知らない先生が増える時期は特に、そして万が一、養護教諭が離任するときもキッチリ共有・申し送りをしてください、例えば始業式初日に、

●事情をしらない教諭から物を運ぶのを手伝ってくれと言われるかも
●肢体不自由には見えないてんさんが、階段の肢体不自由児の訓練用レーンをゆっくり使うことを怪訝に思い、そこは使ってはいけない、早くしなさい的な声をかけるかも(これは、場合によっては校長に厳重に抗議しますとお伝えした)

という感じで、エーラス・ダンロス症候群の合併症なのか発達障がいの二次障がいなのかはともかく、てんさんの不安障がいが再発したり鬱症状が悪化することがないように、ご協力をお願いしました。

養護教諭はとても頼りになる先生。もちろん本人が自分の病気や障がいを受け入れて必要な時は人に伝える訓練を重ねる必要はあるけど、診断がついたばかりの今はまだわざわざ深く傷を負わせてから強くする方式はてんさんの性格には合わないと思う、と話したら大きくうなずいて同意してくださいました。

新しく入ってきた、まだ障がいに慣れていない、不安の強い保護者に「学校との信頼関係を作る責任は保護者側にもあるから、キツいけれど面倒くさがらずに適切な支援を協議して、実際に信頼すること、感謝の気持ちも忘れないこと」と話すのですが、改めて大切なことだなーと感じました。
私に学校との関係づくりを教え込んでくださった先輩保護者の皆様にも感謝なのです。